1.黒い剣士(はてなブログデビュー!!眩しい思い出と幸せのハードルの話とか)

はじめまして。はじめてみました。はてなブログ

タイピングと長い文章を書くことの練習がてら、です。(あと、すぐT〇itterに書き込む癖を直したい)

と言っても、誰かが読んでいるのでしょうか。誰が読んでいるのでしょうか。

いるかもしれない、私の文章を読んでくれている誰かのことを意識して書いてみます。

 

 まあノープラン。ブログって何を書けばいいんですか?本当にわからない。いつか、誰かが、「テーマが何も思いつかない」ということだけをただひたすら書いた作文を書いていましたね。でもそれって、けっこう力量が必要だと思うんですよ。ええね、私はそんなもの持ち合わせていませんので、頑張って何かについて書いてみますよ。

 

 今朝、寒さに震えながら入ったシャワーの中で(日本語が変な気がするシャワーに入るって言いますか?)、ふと思い出した言葉と景色と感情があります。(言葉と景色と感情)

 私が、まだ冬にしっかりと雪が降るところにいたときのことです。多分、時期は2月中旬~下旬とか、まだ冬だけれど日中は日差しが優しくなってきたな~くらいの頃。俺氏まだほっぺの赤い中学生。冬の時期の体育の授業は、外でフィギュアスケートをするのですが、その日は好きに遊んでいいよ~の日でした。今考えると、すごい。急に自由を言い渡されて、中学生って外で無邪気にはしゃげるんだ、、、というくらい、ガキども(私含め)は各々そりすべりやスケートやアイスホッケーなどに夢中になっていましたのよ。(楽しそう) 今よりもっとガキの私は、未来の私にガキ呼ばわりされているとはつゆ知らず、3人のご友人たちとキャッキャうふふしていました。ちゃんと中学生を務めていて偉い、、、。

 私が今朝思い出したシーンは、4人で雪の上に寝そべって日光浴しながら喋っていた時のことです。3人のうちのひとり、Aちゃんとしましょう。Aちゃんが、突然「幸せだ~」と、ポカポカとした表情と声音で口に出したのです。いいや、詳しくは覚えていません。「幸せだね~」かもしれないし、「幸せだわよ~」かもしれない。だけど、とにかく、今この瞬間が幸せであると、まっすぐに言葉にして伝えてくれたのです。それに対し、私やほかの2人がどのように反応したのかも、覚えてはいません。ただ、私の人生の中でこれほどまでまっすぐに「幸せだ」と、伝えてくれた人って彼女しかいないのです。それに、彼女の「幸せ」の中に私も参加しているのです。そんなに嬉しいことって、これから先あるのでしょうか。一緒に青空を仰いで、川の字でみんなくっついて寝そべって、だって、あの瞬間、たしかに、世界に私たちしかいないという錯覚に陥ったのです。雲一つない青空も、嬉しい日差しも、遠くに聞こえる他の生徒達の楽しそうな声も、隣に寝そべった3人の横顔も、あの時の私そのまんまで思い出せるのです。その時に、「今の瞬間のこと、絶対に忘れない気がする」と、みんなで言い合った気もします。私の心の中のおしゃべりの可能性も、なきにしもあらずですが、、、

 元々、仲良し3人の中にたまに私が入っていたというだけで、他の3人とは高校から疎遠になってしまってもう話すこともないんですけれど、だからこそ、なのかもしれないですね。あの時の記憶が色褪せずに私の中に保存されていて、ずっと嬉しいままなのです。そう、私とは正反対のピュアでまっすぐでまぶしい3人と一緒にいたときのこと、最近ふと思い出しては嬉しくなります。ちょっとだけ、活力にギャップがありすぎて疲れることもあったけど、そんな私にも、いつも眩しい笑顔を届けてくれる3人でした。らぶり~。

 そんな、輝かしい思い出を思い出して寒い浴室でもほくほくと居られたわけなんですけれど、今の私はというと、あの時の私とはかけ離れたところにいます。幸せな人を見るのが嫌いです。ひどい。そんな絶賛拗らせ中の私にも、「幸せ」を疑うことなく受け入れていた昔があるのだと、昔の私を愛おしく思えて、嬉しいのです。

 でも、私が言いたいのは、昔と今じゃ、幸せのハードルが全然違うと思うんですよ。昔、SNSに侵食されていなかったころって、幸せが自己完結、もしくは一緒にいる人との共有だけで良かったのです。それに、幸せを感じる材料は人との交流だったり、好きなことだったりと、実にシンプルなことだったと思います(個人差はもちろんあるけど)。それが、SNSに侵食された今では、他の人に公開する工程までが幸せに含まれていて、しかも、恋人がいることや、ブランドもののプレゼントを貰ったこと、眺めの良いレストランでディナーなど、幸せのハードルが高くなっている気がします。しかし、その一方で、幸せの形が固定化されているようにも感じます。これをしたら=幸せみたいな、幸せの公式があるみたい。そういう点では、幸せのハードルが低いとも言えます。これはあくまで私が感じているというだけのことではありますが、、、

 当たり前だけど、人によって幸せのかたちも大きさも違くて、それを自分の心のうちに留めておくのも、多くの人に公開するのも、それぞれの自由なんです。だから、公開された幸せを恨めしく思う私がいることも、それまた自由なのです。私の自由。

 関係ないことなんですが、「自由」って漢字、すごく違和感があって納得いかないです。ずっと思っていたんですけど、「自由」って意味と、その漢字の形や雰囲気からイメージされることがあまりにも違いませんか!?かくかくしていてまっすぐで収まっている感じが、、、それもまた自由だよというメッセージなんですかね。よくわかりません。

 

っさーーーーー!!!!!疲れた!!!書き始めると書きたいことってどんどん出てくるものなんですね。寝ます。